書評・三八堂

のんびり不定期に読んだ本の感想を書いていきます

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「珈琲店タレーランの事件簿5」岡崎琢磨

●新年の読書

・「珈琲店タレーランの事件簿5 〜この鴛鴦茶がおいしくなりますように〜」岡崎琢磨/宝島社文庫

 シリーズもいつの間にか第五弾です。気付かぬ内に新刊が出ている。コンスタントで非常に宜しいですね。その調子でビブリア堂も新刊早く出て(著者違う)。四作目が番外編的短編集だったので、話が本道に戻ってきて欲しいとの希望が叶って良かったです。ちゃんとコーヒーの薀蓄あるし。サブタイトルにもなっている鴛鴦茶、飲んでみたいもんです。味の想像が出来ん。

 シリーズの中で一番良かったように思います。何が良かったって、構成。連作短編で章ごとに細かな謎を解きながらも通底する謎があり、それは語り手のアオヤマくんが中学生の頃にコーヒーの道を志すきっかけになった女性にまつわるお話です。全6章立てで、前半は思い出の女性、眞子の身の上に関する謎を探偵役の「純喫茶タレーラン」の童顔美人バリスタ・切間美星が着々と解いていきます。

 後半は眞子が傾倒する源氏物語が事件に絡んできます。大塚ひかり氏の逐語訳を読了した源氏好きのわたくしですからそこは「源氏の謎、どれほどのもんじゃい」と一般の人よりちょっと詳しいのを鼻にかけて読みましたが、源氏でも守備範囲外のことが謎に絡んで来ていたので全然分かりませんでした。

 本文に思わせ振りに差出人不明の手紙が挿入されていたり、ミスリードを誘うような記述があったりと、騙されないよう気を付けて読んでいましたが、切間バリスタと同じ速さで真相にたどり着くことは出来ませんでした、残念。

 正直に言うと、表現のそこかしこに肌に合わないところがあるんですが(分かりやすく言えば地の文がラノベっぽく感じる)、アオヤマくんと切間バリスタの関係も漸進しているようですし、シリーズ完結まで読みまする。

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| 国内あ行(その他) | 16:35 | comments(0) | trackbacks(0) |
「珈琲店タレーランの事件簿4」岡崎琢磨

●本日の読書

・「珈琲店タレーランの事件簿4 〜ブレイクは五種類のフレーバーで〜」岡崎琢磨/宝島社文庫

 

 タレーランシリーズ第四弾ですが、特に緩むことなく面白かったですよ。童顔のバリスタ切間美星さんと、彼女とお近付きになりたい別店バリスタのアオヤマ青年。過去三作に出て来たキャラクターも再登場しつつ、タイトル通り短編五つを収めた作です。どれも毛色が違っていて面白かったのですが、理学療法士のための専門学校を舞台にした「パリェッタの恋」がもっとも手の込んだ書き方をされた作品で白眉だったと思います。


 基本的に前三作は、純喫茶が舞台と云うこともあって珈琲に関する蘊蓄がふんだんに盛り込まれたミステリーでしたが、今作は珈琲を少し離れて理学療法士やダーツ、美術に関するモチーフが上手いこと埋め込まれています。珈琲ほとんど出てこない。あと既刊を読んでいる者として少し不思議に思ったのが、アオヤマ青年が美星さんと同じくバリスタであるということが(物語上必要とされない限り)敢えて隠されているのかと思うほど言及されていないこと。それと、苗字がカタカナ書きになっていること。「青山」でいいと思うんですが、なんかの伏線でしょうかね。アオヤマ青年の身上が書かれていないのは初出媒体である「このミステリーがすごい! 大賞作家書下ろしブック」の影響かなあとは思うのですが、なんか違和感あったなあ(複数作家の競作形態だから登場人物の背景は必要ないっちゃないけどね)。

 

 タイトル通り、シリーズの「ブレイク」になっている本作では、美星さんと青山君の仲が進展することは特にないのですが、隙間を埋める番外編としては良かったです。せっかくなら次作はもう一度原点回帰でコーヒーの話に戻って、蘊蓄たっぷりの連作短編集、または長篇にして頂ければと思います。言うだけタダ。

 

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| 国内あ行(その他) | 02:14 | comments(0) | trackbacks(0) |
「ショコラティエの勲章」上田早夕里
評価:
上田 早夕里
東京創元社
コメント:SFから入ったので意外な一作。出て来るもん全部美味しそう。

●本日の読書
・「ショコラティエの勲章」上田早夕里/東京創元社

 著者の本は「華竜の宮」「リリエンタールの末裔」二作を読んでおり、両方とも想像を超えた進化の果てなる種族「魚舟」が登場するSFであったため、本作のような現代を舞台にしたミステリ作品を書いておられるとは意外の一言でした。「火星ダーク・バラード」で小松左京賞を受賞しデビューした経歴からも、異世界を見事に構築する想像力と筆力が(多少失礼な表現になりますが)、良くある普通のミステリだと勿体ないんじゃないかと思ったんですよ。

 ショコラトリー(チョコレート専門店)を舞台にした、読んでいてチョコだのケーキだのがやたらめったら食べたくなる、微に入り細に入った味の描写が堪らんミステリです。人が死なない話で、日常に起こるちょっと不思議な出来事を解決していきます。腕のいい寡黙な男性ショコラティエ、長峰が理知的に不思議の答えを明らかにする探偵役で、でもミステリ的な探偵ではなくて、洞察力のある一般人って感じです。語り部は、長峰がシェフを務める人気ショコラトリー「ショコラ・ド・ルイ」の二軒隣の老舗和菓子屋「福桜堂」の工場長の娘、絢部さん。絢部さんは若い娘さんなのに浮ついてなくて、ちょっと中年女性っぽい落ち着きがあります。だから年上で感情をあまり出さない長峰さんとやり取り出来るんだろうなあ。

 不思議解明がメインになるような、所謂トリックのための小説ではなくて、登場人物の描写がリアルで深みのある物語です。安易なお話だと、人はお互いを分かり合うために(または作者の意図のために)喋り過ぎるきらいがあって、その会話によって誤解が解けたり恋が芽生えたりしがちでひねくれ者の私は「えー」と思うのですが、本作の登場人物は「他人同士は分かり合えない(こともある)」ということを認めており、それがリアルでした。一つの出来事が解決したからと云ってそれまでの確執はなかったことになる訳ではなくて、やっぱり何らかのわだかまりや感情のしこりは現実に残るもの。それをちゃんと描いており、全てをめでたしめでたしに収めないところが好感が持てました。感想として変ですかね? だってそう思ったしなー。

 にしても登場人物みんなお菓子の味に詳しいのな! すごくいい舌持ってんのな! 舞台が舞台なもんで、チョコだのケーキだの和菓子だのがバンバン出て来るんですが、それがもういちいち美味しそうで、なのにあまり菓子にこだわりのないわたしは出て来る用語(特に洋菓子)が分からんのなんの。フランボワーズって何ぞね。クーベルチュールは食べ物ですか技法ですか。チョコ食べて、それに花のフレーバーが入っているのを感じるとか未知すぎる。でもお菓子好きな人や、製菓に詳しい人なら堪らんだろうなあ。多分実際に作ろうと思ったら作れるリアリティがある内容だと思います。アマゾンのレビューで読んだんですが、著者には菓子業界で長く働いた経験があるのだとか。うん、納得。個人的には第一話「鏡の声」、第二話「七番目のフェーヴ」、第四話「約束」が良かったです。本書の前作に当たる「ラ・パティスリー」も機会があったら読んでみたいです。

 でもわたしは、著者の作品なら、あの奇想天外な生き物が登場する骨太SFの方が好きだなあ、と再確認いたしました。

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| 国内あ行(その他) | 22:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
「私の恋人」上田岳弘

●本日の読書

・「私の恋人」上田岳弘/新潮社

 なんだろう、すごかった。人類を巡る壮大な物語でありつつも妄想っぽくもあるような、しかしながら人類の進化について示唆されている気もする文学作品。著者は本作で第二十八回三島賞を受賞しています。三島賞は外れがない文学賞としてわたしの中で定評がありますので、デビュー作の「太陽」から「すごい新人」と云うことで何かと名前を目にしていた著者の作品を受賞を機に手に取って読んだのですが、その魅力を説明するのが非常に困難です。んでも青木淳悟の作品よりはまだとっつき易いと思います(「四十日と四十夜のメルヘン」あれすごく分からなかったので、未だに劣等感)。

 主人公の井上由祐は三十五歳の独身男性ですが、彼は三度目の人生を歩んでおり、一度目の人生は天才的なクロマニヨン人としてシリアの洞窟の中で人類の遠い遠い未来を理論的に予測した長大な論文を顔料で壁に書き付けています。未だにその長文は人類に見付かることなく洞窟の中に残されているとのこと。そして二度目の人生はユダヤ人ハインリヒ・ケプラーとしてドイツに生まれ、ナチスの手により強制収容所で悲惨に餓死させられます。一度目の天才クロマニヨン人生の時に、彼は妄想の恋人について壁に書き付けているのですが、「私の恋人」と呼ばれるその女性は完璧な容姿と利発さを備え、十代は順風満帆に育ちますがその賢さから人権活動にのめりこんで活動のシンボルとして祭り上げられ過激な言動を行うようになり、その後に自らの行いが何にも影響を与えない虚しさに絶望して堕落します。そしてそこからまた賢い女として人生持ち上がっていくのですが、それは全てクロマニヨン人の妄想です。人類の行く末をほぼ正確に記述したクロマニヨン人の妄想にしか生きていない「私の恋人」。

 しかしその恋人の記述は二度目の人生ケプラーにも引き継がれており、彼は未だ見ぬ「私の恋人」の姿を追い求めて夢見がちな人生を送ります。強制収容所で看守に自分が人生を終えるであろう部屋に連れて行かれる間にも、恐怖に震えながらケプラーは、彼の人生で遂に出会えなかった「私の恋人」に語り掛けます。……さて、ここまでの設定記述でどれだけの人がこの本に興味を持って下さってるかがわたくし非常に気になるんですが、このぶっ飛んだ設定が三度目の人生を送っている井上由祐に語られると不思議に面白いし、最初うさん臭く読んでいたのがなんかありそうな気もしてくるから不思議です。

 井上由祐は過去の二人が死んだ三十四歳を超え、三十五歳を無事迎えることが出来ます。そしてそれと機を同じくして「私の恋人」の生き様に最も近いと思われる女性、オーストラリア人のキャロライン・ホプキンスと出会います。キャロライン・ホプキンスはクロマニヨン人が夢想したのとほぼ同じような非常に紆余曲折した人生を経て来ており、井上由祐はこの女性を「私の恋人」として離してはならない存在と感じます。ほら、段々面白くなってきたでしょ、読んでみたくなってきたでしょ。キャロライン・ホプキンスは井上と出会う前にある男性と寝食を共にして旅をしていたのですが、その旅の記述が本書の芯になる内容です。キャロライン・ホプキンスと共に行動していた(正確にはキャロライン・ホプキンスを連れて旅をした)日本人男性高橋陽平は「人類は今三周目に入っている」と言い、人類の一周目、二周目を巡る旅をしています。「は? 何それ?」と思いますよね、これが井上由祐の三度目の人生の話と合致しないまでもなんとなく触れ合っています。高橋が語る三周目の人類の話はなかなか興味深いものです。

 エンターテイメント小説ではないのでカタルシスのある話ではないですが、「こう云うの、ありなんだ」って意味で、うん、面白かった。

 

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| 国内あ行(その他) | 07:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
「穴」小山田浩子
評価:
小山田 浩子
新潮社
コメント:これはすごいはなしやとおもう。

●昨日の読書
・「穴」小山田浩子/新潮社


 前作「工場」を読んでからずっと読みたかったこの本。「工場」の魅力は、何を作っているかも定かではない非現実的な独立都市・工場を舞台にしながらも、みっちり詰められたリアルな人間描写のアンバランスさでしたが、その奇妙な世界観と濃密な人物描写がますます磨かれた本作「穴」で、著者は本作品で第 150 回芥川賞を受賞しています。うんうん、わたしも「工場」より「穴」の方が好きだわ。

 夫の転勤に伴い派遣社員を辞めて夫の実家の隣の家、田舎に居を移した あさひ。義母と隣り合う暮らし、車のない生活、暇を持て余す毎日をやり過ごす中で彼女は、道で見たこともない黒い獣と行き違います。その後を追ううちに河原に穿たれた深い穴に首まですっぽり落ちて仕舞い、穴から出られずどうしようかと思案しているところに人が通りかかり……と云うのが物語の出だしですが、別にこの後アリス的な話になる訳でも、黒い獣に襲われる訳でもなく、話は思ったのと少しずれた向きに淡々と進んでいきます。

 著者の文の魅力は、その奇妙なシチュエーションにも拘らず、登場する情景、人物描写、暮らしのこと、そういった諸々が非常に現実的であるある感に満ちていることです。著者の作品を分類するのであればわたしは迷わず多和田葉子と同じ「幻想文学」の箱に入れますが、その「あり得なさに満ちた、日常に肉薄する描写」こそが、この奇妙な話が空へ飛んでって陳腐な空想小説にならないよう地上に繋ぎ止める役目を果たしているように思います。やたらスマホばかりを触る夫、毎日あり得ないほど長時間かけて庭に水を撒く義理の祖父、そして獣を追う内に出会ったある男性、その生い立ちと暮らし……。この男性の存在が物語の要ですが、黒い獣にしろ、男性にしろ、何か彼女の身の上にいつか来る恐ろしい破綻を想像させるところがあります。

 そう、読んでて思うのがこの「何か起こりそう」感。いつか何かとんでもないことが起こるんじゃないかとずっと思わされていて、読んでて焦る。淡々とした文章なのに熱を孕んでいて、その内包されたものをわたしはずっと恐れながら読んでいました。実際何が起こるか/何も起こらないかは手に取って読んでみて下さい。わたしは読み終えてからしばらく、獣は何のメタファー(隠喩)なのかって考えていますが思いつきません。主人公の退屈なのか、苛立ちなのか、矜持なのか、どれも合っているようで、でも獣をメタファーとして捉えること自体が間違っているのかも知れないし……等と延々考えさせられております。

 併録は「いたちなく」「雪のやど」の、二作続きの短編です。「いたちなく」は凄みのある作品で、妻の、または女性の恐ろしいところを上手いエピソードで切り取って描いてあります。うん、上手いなあ。ほんと上手い。

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| 国内あ行(その他) | 01:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
「今はじめる人のための短歌入門」岡井隆
評価:
---
KADOKAWA / 角川学芸出版
コメント:わたしが今まで読んだ短歌指南の中で抜群

●本日の読書
・「今はじめる人のための短歌入門」岡井隆/角川ソフィア文庫


 今までわたしが読んだ短歌指南の本の中で抜群。一番いい。つってもそんな何冊も読んでいる訳じゃないけど、「短歌ください」「短歌ください 2」「かんたん短歌の作り方」、の中では一番自分にずどーんと合ってると思いました。

 何がいいかと言うと、曰く「短歌作りは簡単ではない」と言い切っていること。そうよ、色々と結構(決まり事)がある中で、季語を入れて31文字で詠む歌の作り方が簡単な訳ないじゃない! 言葉の選び方が無限にある中でどれをどう選んでどう並べるかってことが誰でも気安く出来る訳がないじゃない! そうだそうだ!(シュプレヒコール)

 と、こう書いているわたしですが、別に短歌作りを本気ではじめようと思っている訳じゃなくてですね。小説を読むのが好きな立場から、他人の言葉を選ぶセンスと言うか、表現のバリエーション……バリエーション違うな、もっと鋭敏で厳しい言葉の取捨選択と推敲について非常に興味がありまして、その極致が短歌であり俳句であると思っているんです。で、俳句じゃなくて短歌に興味を持ったのは、なんか俳句って短すぎる気がするから(あくまで主観です)。

 Kindle で読んでたのでハイライトしたところを抜き書きすると以下になります。

まず、わたしと同じように、短歌作りは困難な道であり、むつかしい作業であると覚悟して下さい。

詩歌は、おそらく、実人生とくらべたとき、「遊び」なのです。あるいは、こういう言い方をしてもいいかも知れない、詩歌が実現しようとしているのは、もう一つの「実人生」なのだと。

結果として、わたしは、(ずい分とぶっきらぼうな言い方になりますが)わたしの接して来た初心の人たちは、わたしほど、短歌がすきではないらしい、とわかって来ました。

五・七・五・七・七の定型を厳しく守るという基本律が、習得できたなら、第二には、一首のなかに、核心となるべき「事物」を据えつける習練をなさってみて下さい。

すくなくとも、基礎として、基本としての短歌は、あくまで、文語的表現に立脚するものであるとおもっています。的な視野と、情報の客観性とは、切れています。

もう一つだけつけ加えます。因果関係を三十一文字にするのは意外にやさしかったはずで、一つの感情を、理窟抜き、説明抜きで三十一文字化するのは、大へんにむつかしいことなのです。

詩歌の比喩は、第一に新鮮で、第二に個性的で、第三に適度の意外性をもっていなければ駄目なようであります。

 まず短歌作りは難しい。そう言い切っているのが素晴らしい。定型を守り字余り字足らずは極力作らない。文語で作る。そして何より短歌を好きでなくてはいい歌を作れない。これらの説明の為に、近現代の短歌、或いは万葉集などからも有名な歌が色々と引かれているのですが、これがいちいち説明に必要十分な条件を備えている短歌で、著者の言いたいことがすっと頭に入って来ます。最初は短歌の良し悪しなんて分からないで本を開いているのに、読んでいる内に挙げられた歌がいかに練られているのか分かってくるとぞくぞくしますよ。そうそう、上記抜き書きには入っていませんが、短歌を書くときはそこらの紙にちょろっと書くのではなく、原稿用紙に気に入りの筆記具で清書する工程が短歌の完成度を上げるのに寄与すると推奨されていました。

 逆にこんなにハードル上げられるとおいそれと短歌なんて作れなくなっちゃうんですが、先に書いたように決められた枠に従うこと、言葉を選ぶこと、言葉を並べること、そういう制限された条件の中でいかにありふれた感情をありふれない短歌に仕上げるかをものすごく頭を使って考えることに憧れます(因みにわたしは、安部公房が原稿用紙十枚分の文章を推敲に推敲を重ねて原稿用紙一枚にしたと云う逸話が大好きです)。
| 国内あ行(その他) | 16:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
「世界の宗教が面白いほどわかる本」池上彰
●本日の読書
・「 [図解] 池上彰の世界の宗教が面白いほどわかる本」池上彰/中経の文庫


 ここ数年、新聞読んでません。そんでニュースも見れてないので、世界の出来事どころか日本の事件も知らないわたしは「社会人として劣っている」と云う劣等感に苛まれて毎日を生きておる訳なのですが、取り敢えず IS ってなによ、と云う事が知りたくてこの本を手に取りました。高校で地理も世界史も取らなかったわたしは日本の歴史のどうでもいい細々したことに局所的に詳しいのと引き換えに一般常識がないので池上無双に頼るよ! 教えてお父さん!(と云う NHK「週刊こどもニュース」ネタも大分通じなくなっているのであろうな、多分)

 分かりやすかったです。キリスト教とユダヤ教とイスラム教は同じ神を信仰しているが聖典が異なるとか、アメリカ大統領はプロテスタントでないとなりにくいとか(ケネディなどカソリックの大統領もいるとのことですが)、ユダヤ人は人種や民族で括れず母親がユダヤ人またはユダヤ教を信じていればユダヤ人に該当するとか、色々な知らないことが沢山書いてありました。4ページ一節なので読みやすいし、宗教を大掴みするのにはお勧めです。

 イスラム教について知りたいと思って読んだのですが、自分の心に残ったのはヒンドゥー教についての解説部分です。インドにおけるヒンドゥー教は日本における仏教のように「特に熱心な信者じゃないけど、自分はどっちかと云うとこの宗教に属しているのかな」とインド人が思うようなゆるめの広まり方で、殆どの宗教が唯一神を信仰する中で、ヒンドゥー教は日本の八百万の神のように沢山の神の存在を許容しています。自然発生的に生まれた宗教であり、その点でも「万物に神は宿る」と云うアニミズム的な側面が馴染みやすいです。

 あと嬉しいことに神道についての解説もあります。神道は京極夏彦の「京極堂シリーズ」を読んだ時に神主である京極堂が垂れるものっすごい長い講釈で知ったつもりになっておりましたが、流石に読了二十年経ったら忘れていることの方が多いですな、改めて興味深いと思いました。神社神道(神社を中心とした神道)と教派神道(教祖のいる神道)なんて知らなかった YO! 情報が古びる前に一読をお勧めします。賢くなれた気持ちになるよ!

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| 国内あ行(その他) | 01:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
「工場」小山田浩子
評価:
小山田 浩子
新潮社
コメント:幻想不条理純文学

●本日の読書
・「工場」小山田浩子/新潮社

「穴」で芥川賞を受賞した著者の第一作。久し振りに本格純文学(と云う表現は変ですが)を読みました。なんだろう、妙な空間に誘われて変な迷路を行ったり来たりさせられた挙句、見たことのない広野に放り出されたような、でも空を見上げると心地いい気持ちになるような。……いや、全然分かりませんねこんな感想じゃ。端的に言うなら、現実世界を舞台にしているようでありながら幻想的で不条理な小説です。

 個人的な身の上を申し上げますと、わたしは界隈では大きいとされる工場で働いております。部門が異なるとどれくらいの人数の誰がどんな風になんのために働いているのか知りえないくらいの規模の工場です。だもんで工場全体が街を形成している表題作「工場」の雰囲気が体感として分かると云う恵まれた(?)身上ではあるのですが、それでも本書に登場する工場はおかしいし、そんな場所でのあんな仕事はご免被りたい。いくら地元では「工場」への就職が栄誉であるとしても。

 主人公の牛山さんは工場で契約社員として働き始めますが、業務内容はシュレッダー係。毎日決まった時間に運ばれて来る書類の山を次々にシュレッダーに掛け続ける仕事です。シュレッダーは一人で複数台持ちして、同僚四人と共に働くのですが、何の技能もいらないし替えの効く仕事で何やら不気味です。ところ変わって古笛さん(ふるふえさん、と読む)は同じ工場で働く男性ですが、工場緑化計画としてたった一人で工場内に苔を用いて緑化を推進すると云う仕事を与えられます。しかしどこをどう進めればいいかは非常にぞんざいで「あなたのペースで」としか言われず、緑化は遅々として進みません。でも何も叱られないし急かされない。また別の人物、牛山さんの兄の牛山さんは同じ工場で校正係をしています。毎日運ばれて来る校正が必要な書類に赤を入れていますが、やたら古い書類の校正が来たり、以前校正したものがまた少し変わって校正に戻ってきたりします。校正に署名は必要なく、校正そのものへの必要性に疑問が生じる業務です。そんな妙な仕事を含んだ工場には、工場独特の黒い鳥が群生しています。どうやらウであるらしいその鳥は密集してただ静かに工場内の河原に立っています。その数は近年増えている模様。

 どんでん返しも起承転結もあるようなないような話ですが、改行も殆ど無く密集して書かれたその文章は(そう、まるで河原に居るウのように)、自在に時間と空間を行き来し我々を不思議な工場に誘い込みます。不要な業務で生じるやたらリアルな人間関係の描写がこの不思議な小説のちからなのだと思います。変な工場なのに登場人物はまともで、正に工場の歯車として「工場の勢力範囲内で」日々を過ごす、その奇妙さ。

 併録の「ディスカス忌」と「いこぼれのむし」、これらも良かったです。特に「いこぼれのむし」。こちらは普通っぽく見える企業のある部署での話ですが、どうもこのお話の舞台も先の「工場」の一部署のようで眩暈がします。でもこちらの部署はちゃんとした仕事をしている場所で、仕事が出来たり美人だったり性格の軽い新人だったりやり手上司だったりが登場してそれぞれの心境を独白します。入社四年目の奈良さんは頑張っていますがトロく、それを気に病んでいますがそのトロさが常軌を逸しているのを彼女だけが気付いていません。文中にある人間観察の卓越した描写、的を射た表現が素晴らしいです。話中で彼女が遭遇する出来事は怪奇の類ですが、それが仕事での見えざるストレスによる病気の比喩なのかと言えば、なんかそんな単純なまとめ方していい話でもないんですよね。ところどころリアルな、長い長い夢を読んでいる感じ。癖になる。

 起承転結のきちんとしたお話が好きな人には進めにくいですが「純文学ってなんだろう、読んでみたいな」と思っている向きには、近年で一番進めたい一冊です。

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| 国内あ行(その他) | 23:42 | comments(0) | trackbacks(0) |
「こちらあみ子」今村夏子
●本日の読書
・「こちらあみ子」今村夏子/筑摩書房


 表題作は2010年の太宰治賞受賞作で、また併録の「ピクニック」と合わせて本書で三島賞を受賞しています。個人的な文学賞ウエイトとして太宰賞と三島賞、泉鏡花文学賞の受賞作は斬新で面白いものが多いので機会があれば手に取るようにしているのですが、本書は癖が強いと云うか、もしかしたら嫌う人もいるかも知れない作品です。でもわたしはとても上手いと思いました。

 まず表題作。主人公のあみ子は発達障害(だろうと思われる描写)の娘で、彼女の小中学校時代を描いた物語のメイン部分は彼女の言動とそれによる家族の状況の移り変わりを描いています。あみ子の致命的な言葉や行動で彼女の継母は心を病んで仕舞うのですが、あみ子はその出来事と継母の変化を関連付けて受け止めることが出来ないので、現実には辛くしんどい状況も不思議にあっけらかんとした空気をまとって紡がれています。例えば小学校での授業中、あみ子はよく大声で歌を歌っているようなのですがそれをあみ子は変だと思わないので、あるきっかけで歌を歌う描写が出て来る時に「いつものように歌を歌った」と書いてあり、読者は「ああ、いつも歌っているんだな」と、そこに至るまでのクラスメートの置かれた環境を振り返って想像するのです。あみ子に言われるまで読者は分からない。発達障害を盾に、虫食いの物語をそれと知らず読まされて、小説中のあみ子に種明かしをされていると言うか……。うーん、分かってもらえるだろうかこの感じ。彼女の行動は彼女の中では自然なので文中ではさらっと流されるのだけれど、読んでると「ええっ、そんなことするの」「うわー、これはちょっと……」ってドン引きしちゃうんです。

 でも何故か、あみ子を嫌いになることが出来ない。それがこの小説の一番上手なところではないかと思います。

 プレゼントでもらったおもちゃのトランシーバーに呼び掛けるあみ子と、トランシーバーがおもちゃであるが故の通信の不具合が、家族とあみ子の「通じ合えない」「別の価値観で生きている」様子のメタファーになっていて秀逸です。この小説については「ここも良かった、あそこも良かった」ってまだまだ書きたい感じなのですが、どうも書きすぎるとこの小説の良さを損なってしまうような気がしますなあ。個人的には初出のタイトル「あたらしい娘」も良かったと思うのですが、改題されてますね。

 そして併録の「ピクニック」も一筋縄ではいかない小説です。コンセプトパブで働くユミ(たち)から見た同僚の七緒さんの物語ですが、七緒さんがものっすごい善人で、でもベクトルがずれていて、彼女に好感を持つユミたちは売れっ子お笑い芸人と愛を育む七緒さんの人生を全力で応援している、と云うお話です。こう書くといい話なんですが、七緒さんの極めた善人っぷりには上手く言えない違和感があります。でもそれは厭な違和感じゃなくて、読者は七緒さんが幸せであればいいなと思わず願ってしまうような、そんな不思議な牽引力を持つお話です。七緒さんの努力の方向は妙で、そしてお話が進むにつれ読者は七緒さんに疑念を抱くようになっていくのですが、何が本当なのか、本当は誰も分からないんじゃないかと云う、余韻に満ちた小説でした。

 この著者、文章にすごい特色がある訳ではないのですが物語の作り方がとても上手で、他にこんな小説書ける人いないんじゃないかなあと思わされました。不思議な魅力。

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| 国内あ行(その他) | 00:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
「リリエンタールの末裔」上田早夕里
評価:
上田 早夕里
早川書房
コメント:人間と機械が美しく共存する世界を描くSF短編集

●本日の読書
・「リリエンタールの末裔」上田早夕里/早川書房


 人間と機械の共存、融合を描いた SF 短篇集です。

 急激な海面上昇(リ・クリティシャス)以降の世界、背中に腕の生えた鉤腕持ちの人間が空を飛ぶことに憧れ生きる姿を描いた「リリエンタールの末裔」。
 事故による脳障害とそれを埋める高度医療技術の狭間で生じた悲しくも美しい葛藤を描く「マグネフィオ」。
 海洋無人探査機ナイト・ブルーを操る内に、調査船のアームと自己の感覚が融合する病に罹ったパイロット霧島と、そこから結ばれる昔話を老婦人が語る「ナイト・ブルーの記憶」。
 十八世紀のイギリスで狂わない時計、マリン・クロノメーターの開発を行った実在の技師ジョン・ハリソンと彼の家政婦にまつわる話「幻のクロノメーター」。

 どれもこれも人間と機械が少しずつ交じり合う話です。坂田靖子の漫画「やわらかな機械」を思い出します(ハヤカワ「時間を我等に」収録)。或いは無二の歌姫ビョークの PV「All is full of love」を見た感覚とも近いです(アンドロイドのぎこちないラブシーンが鮮烈です)。現代よりも遥かに進歩した科学技術が受け入れられている世界に於いてそれぞれの持ち場で精一杯生きている人々の話は、陳腐な表現ですが胸躍るものがあります。そう、物語の中に登場する空想の技術や機械にも勿論わくわくさせられるのですが、著者の描く世界はその技術の魅力に頼るのではなく、登場人物の行動、言葉、選択などの「人間的な」描写に機械のはたらきがエッセンスを添えているといった風情です。

「華竜の宮」で登場したネオ人類と共通の世界が描かれるのは冒頭の「リリエンタールの末裔」のみなので、前者の世界に魅せられたわたしは「魚舟・魚舟」をいずれ読もうと思うのですが、本書を読むことで著者の創作の幅広さを味わうことが出来たのが良かったです。現在ではあり得ない美しい世界がほつりほつりと語られる様は一種病み付きになります。

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| 国内あ行(その他) | 15:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
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