書評・三八堂

のんびり不定期に読んだ本の感想を書いていきます

スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | | - | - |
「夫・車谷長吉」高橋順子
評価:
高橋 順子
文藝春秋
コメント:見届ける、と云うことの覚悟。

●本日の読書

・「夫・車谷長吉」高橋順子/文藝春秋

 

 その文章の凄みと内容の凄まじさ、精神の極限を書くことに於いて非常に好きな作家である車谷長吉氏が亡くなったことを新聞紙上で読んだのはもう二年前のことか。もう二年経ったのかとも思うし、もっと昔に亡くなっていたような気もする、そんな氏の妻、詩人の高橋順子氏が書き下ろした車谷長吉との生活についての本。読むしかない。

 想像はしていたものの車谷氏との夫婦生活は凄まじく、常人であればとっとと逃げ出すと想像される。しかし高橋氏は「共に闘ってゆく者」として車谷氏との二十六年に渡る生活を全うし、彼の人生を見届けた。

 本書は馴れ初めから車谷氏の三回忌までを綴る。そもそもの馴れ初めは車谷氏が高橋氏の詩を読んで心を動かされ、彼女に手紙を出したことに始まる。その手紙も、まあ普通の人が受け取ったらその切羽詰まった感や意味の分からなさに不気味さを感じて放っておくようなものだと個人的には思う。しかし高橋氏はストイックに小説に向き合い言葉を継ぐ車谷氏に次第に惹かれ、彼の出家を止めて結婚。車谷氏四十八歳、高橋氏四十九歳、ともに初婚。

 最も苛烈なのは「狂気」の章で、強迫神経症を患った車谷氏が「足に付喪神がついた」と言って毎日家じゅうを雑巾で拭き続け、流水で五時間手を洗い続け、妻には見えないたたり神を祓うために靴下を日に何度も変えさせ、といった生活が延々と続くくだり。結果的に病院へ行き神経症の診断を下されるのだが、そこに至るまでの車谷氏の差し迫り方、それに付き合う高橋氏の諦めを含んだ心情、破綻した生活の描写が淡々と書かれるのが最も心に残った。この時代に「萬蔵の場合」や「漂流物」が書かれたかと思うと、文士と云うのは本当に狂気と正気の境目にいるものだというのが良く分かる。後日、氏の代表作となり直木三十五賞を受賞する「赤目四十八滝心中未遂」がこの頃から書き続けられていたことにも驚いた。狂うのはもう少し先の話だと思っていたら、わたしが最も好きな車谷作品が書かれた時代が最も狂っていたということを知って「嗚呼」と思った。今時分、ここまで自分を削って他人も傷付けまくって文に対峙する作家がどれほどいることか(とは云え、いくらファンでも車谷氏のやっていることは酷すぎるとは思うのだが)。

 次の章は車谷氏の作品中で実名で傷付けられまくった人々からの恨みや訴訟の時代。それが一段落付くと、癒しが感じられる晩年期が到来。高橋氏が車谷氏を長期旅行に連れ出したり、それぞれの講演会依頼に合わせて旅先で落ち合ったり、二人でお遍路に出掛けたり。脳梗塞を患ってからは車谷氏は小説を書かなくなり、そしてそのままある日誤嚥性窒息で命を失う。いつ自殺しても不思議でない車谷氏が自ら意図していないタイミングで命を失ったのがいいのか悪いのか分からないけれど、ひとの死にいいも悪いもないとは思う。でも熱烈でないにしてもいち読者としては氏の訃報に接し心の赴くまま文章を書き散らした過去があるので、それはやはり衝撃だった。

 高橋氏の文章は、きっともっと起伏があったであろう生活を最小限の感情表現で著されており、とても読みやすかった。失礼を承知で敢えて言うなら高橋氏は、車谷氏にはもったいない「出来た女性」だと思う。車谷氏のほぼ全ての小説を(完読していないものもありながらも)所持している身としては、本書を読んだのはとても有意義だった。

 

JUGEMテーマ:小説全般

| 国内か行(車谷 長吉) | 04:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
「業柱抱き」〜車谷長吉先生を偲ぶ〜
評価:
---
---
コメント:合掌。

 敬愛する車谷長吉先生が 2015 年 5 月 17 日、自宅にて誤嚥性窒息のために 69 歳で亡くなられました。ご冥福をお祈りします、と云う言葉をあまり喜ばれないお人柄であるように思いますが、ご冥福を心よりお祈り申し上げます。長吉先生らしい最期なのかも知れません。

 遡るに、車谷長吉先生との出会いは 2002 年、わたしが会社に入社した年だったと思います。ふと立ち寄った本屋で「業柱抱き」の文庫版が開き置きされており、その表紙に描かれた幼児の手のものになる人物の顔の絵が暗く重い書名に比して無邪気で、そのコントラストの差が醸し出す「いびつさ」に無性に惹かれて手に取ったのが最初です。本は「業柱抱き」と云うタイトルの詩から始まり、私は一瞬にしてその淀んだいびつな世界に魅了されたのです。全文引用します。

----------------------------------------------------
「業柱抱き」車谷長吉

青銅時代の夏、私はくちなわが交尾しているのを見た。
田んぼの畝と畝のくぼみで、しめやかに、
尾と尾を重ね、一本の線につながっていた。

金貸しの祖母が、叔母に言うていた。
「何え、その物言いは。言うとくけどな、
あんたそななこと言よったら、言ようようになるわ。」
叔母が庭に盥を持ち出して、
血みどろのズロースを洗濯していた。
去年の七夕さまの晩、水に星を映し見た盥だった。

相撲を見に行けなかった人や、
蒸けることしか考えなかった田舎博打奕、あるいは、
化粧品の函の中で尺取虫を飼っている、疣だらけの女の子がいた。

流れ者の女が村に棲みついた。女は物喰うために町場へ出て、
客と乳繰り合うていた。
ある夏の午後、自宅の便所の中で惨殺された。
駐在所の巡査の白い自転車が、道端の青草の中に倒れていた。
「鉈で頭立ち割って、言葉取り出そうとしたんやと。」
私は庭井戸の底に鯉を沈めた。

古い柱時計の針が、停ったままになっていた。
それを見た行商の薬屋が「恐ろしい。」と訴えた。
中二階の納戸の中で、私の欲望しない烏揚羽の標本は、
愛の自白がしたくてうずうずしていた。

麦の秋が来た時、父は柱を抱いて狂人になった。
その日の長い午後、土間の甕の底にどぜうが静まり、
母は厨の板の間に両手を突いて、
あしうらを見せていた。

鹽壺の中に、鹽が匙を喰い込んで、
石になっていた。
銭売りの家の「帳面をする。」部屋だった。
銀の匙の柄が、青黴を吹いて、蓋の凹みから出ていた。
叔父が納屋の土間で壺を打ち摧いた。
けれども、鹽の固まりは匙を噛んでいた。

自転車の後ろの乗せられて嫁に行った、
叔母の生涯は逆剝げの爪だった。
白目の光る人になった叔母は、
「誰からも愛されんな。」とわめきながら、
失われた時に迷うて逃亡していった。

血迷う指が、人形を愛撫しているうちに、
あやまって髪の精にふれたので、
私は生涯「私」にふれることの汚さに、
うめくことになった。
----------------------------------------------------

 即座に本を抱いてレジに進み、以降わたしは車谷長吉先生の本をぽつりぽつりと購入しては時を置いて読むということを続けており、と言っても最近は積むばかりであまり進まなかったところにこの訃報です。秋を過ぎても生きていたカブトムシの武蔵丸が精液を詰まらせたのを濡れた脱脂綿で丁寧に拭き取って世話をする嫁さんに「嫁はんは私との性交のあとでは、そんなことは一遍もしてくれたことはないのであるが。」と書いてみたり(「武蔵丸」)、「小説に悪く書かれた」と訴訟を起こしてくる人に対してどう考えているかと云う新聞取材に「品性卑しい行いである」と返したり、直木賞に落選した時には選考委員九名の名前を書いた白紙の人形を五寸釘で「死ねッ」と深夜の神社で公孫樹に磔にしたり(日野啓三が亡くなった時は長吉先生の呪いが効いたのだと思ったものです。因みに件のエピソードは文春文庫「金輪際」の「変」に収録)、とかく人間の汚さとゆがみといびつさを余すことなく書き下したその濃度の高い文章に、わたしは惚れ込んでいました。

 いびつ。

 そのいびつさを隠そうとする人間の所業が更に新たなるいびつさの元になる。人間であることに由来する業の深さを文章に表されて、わたしは恐れながら惹かれずにいられなかったのです。世間には車谷先生のお名前を存知ない方も多くおられると思います。客観的には直木賞を受賞し、豊川悦史と寺島しのぶで映画化もされた「赤目四十八瀧心中未遂」が書店に並んでいる確率も高く入手しやすいと思いますが、個人的には「忌中」がお勧めです。

 車谷長吉先生、あの世でもしたたかにお過ごし下さいませ。合掌。
 
JUGEMテーマ:小説全般
| 国内か行(車谷 長吉) | 22:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
「人生の救い」車谷長吉
評価:
---
朝日新聞出版
コメント:救いになっているのか

●本日の読書
・「人生の救い 車谷長吉の人生相談」車谷長吉/朝日文庫


 朝日新聞日曜版 be の人生相談・長吉担当回まとめ文庫です。新聞連載開始の時に「うわー、車谷先生に人生相談か、どうなるんだろう」とはらはらした覚えがありますが、開始してみたらやはり何というか他の回答者とは毛色の違う独特の車谷節で、悩みを解決してるんだかしてないんだか良く分かりません。相談者の気持ちを聞きたい。

「人の不幸を望んでしまいます」と云う 46 歳の主婦の相談に対して「あなたのご相談を読ませていただいて、まず思ったのは、この人は一生救われないな、ということでした。」と返すなどどうですか、そこの相談者さん。

 または相談者の質問に対して、まず自分の不幸を語るところから始めるなどのパターンもございます。生まれながらに副鼻腔炎(蓄膿症)を患って鼻で息が出来ないことによるマイナスからの人生出発を語り、相談者に対して「あなたの人生はまだ始まっていません。全てを失ってから人生は始まるのです」などと言ってのける。または阿呆になることで人生は楽しくなると説く。かと云って自分勝手な不幸自慢を繰り広げているだけかと言えばそうではなく、ちゃんと長吉先生なりの指針を与えています。つっけんどんな風でありながらなんとなく温かみが感じられる気がします。特に若い人宛の回答が導き教える感じで、いいです。

 人生相談を読んで爽快感を感じたいのであれば西原理恵子の「生きる悪知恵」をお勧めしますが、こちらはこちらで「あなたはわがままです」「男の浮気は一生直りません」などと相談者をばっさり切り捨てたりするので面白いです。わたしは車谷長吉の貧しさと破滅と荒みが同居しつつ終局(或いは死)に向けて微かな光が感じられるような文章が好きなので、いちファンとして売り上げに貢献したく購入しました。でもこの本「お勧め文庫王国 2014」ランキング 2 位とのことなのでまだ日本の文学界は明るいです、多分。
| 国内か行(車谷 長吉) | 17:45 | comments(0) | trackbacks(0) |
「文士の魂・文士の生魑魅」車谷長吉
評価:
車谷 長吉
新潮社
コメント:「文士の意地」と併せて読むことをお勧めします

●本日の読書
・「文士の魂・文士の生魑魅」車谷長吉/新潮文庫


 単行本で二冊だったものを、文庫化に当たり一冊にまとめたもの。長吉先生の読書遍歴の案内です。先に単行本で、著者責任編集の短編集「文士の意地(上)(下)」を所有していますが、この上下巻の解説本と捉えると分かりやすいです。「文士の意地」に収録されている作品が著者の心の琴線を震わせ、心を抉り、心を捉えた理由が書かれています。

 と、「文士の意地」の宣伝のようなことを書きましたが、昨今の生温い読書案内に飽きて、文学の凄みを感じたい人は是非この「文士の魂・文士の生魑魅」を読んで頂ければと思います。文学、小説の何が人の心に触れるのかと云えば、その筋書き・話自体の面白さよりも、行間に漂う得も言われぬ隙間であったり欠損、欠落、中心の不在、そういった表現しにくい「もののあはれ」であるとわたしは思います。それらの感動を人に伝えるのは非常に難しく、自分が感動したものを人に勧めても「何が面白いの?」と言われたり、逆のことも起こり得るのはご存じの通り。言葉で分からせるのではなく、状況が文字に表わされていない「こと」の余韻を生み出すこの感動を長らく味わっていない、そんな方にはこの読書案内で興味を引いた一篇を手に取って読まれることをお勧めします。

 さー、途中で止まっている「文士の意地(上)」読むぞー。「文士の生魑魅」で推薦されていた寺田寅彦先生の「団栗」(「文士の意地」収録)は確かに哀しく、心に触れる作品でありました。

| 国内か行(車谷 長吉) | 15:36 | comments(0) | trackbacks(0) |
「贋世捨人」車谷長吉

評価:
車谷 長吉
文藝春秋
¥ 600
コメント:小説を書くのはこうまで因業な商売か
●本日の読書
・「贋世捨人」車谷長吉/文春文庫


 小説を書くと云うのはこんなに凄絶なもんなんか。因業な商売なのであろうか。相変わらず密度の高い文章である。あたしみたいにのうのうと生きている人間は、一生こんな濃度の文章を紡ぐ事は出来ないのであろう。

 私(わたくし)小説書きとして立つまでの、著者の半生記。著者の小説は七割方読んでいるので、以前別の短編で読んだ話が随所に出てきて、それが時間の流れ順に整理されているので車谷長吉ファンとしては必携の一冊。

 彼が友人の医者に言われた言葉、
「小説を書くと云うのは、風呂桶に釣り糸を垂れるような行為だと思う。君、続けたまえ」
と云うのが、やはり強く印象に残る言葉であった。

 地球に生きる動物で、小説を書くなんて云う暇な行為が出来るのは人間だけであろうと思われる。知能と余裕があってこそ生まれる小説。極論、なくても生きていける。こういう無駄な(敢えて云う。あたし自身は小説を無駄なものとは思わないが、実際はそうであろうとも考える)ものを書く、書きたい、書かざるを得ないと云うのはやはり少しおかしかったり、必要に迫られた人間でないと出来ないのではないか。

 今の日本に、そこまでの覚悟を決めて文章を書いている人がどれだけ居ることか。勿論、全ての人がそうあれとは思わないが、こう云う態度で文章に向かっている人が居ると云うこと、その事があたしの姿勢を正す。
| 国内か行(車谷 長吉) | 23:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
「忌中」車谷長吉
●本日の読書
・「忌中」車谷長吉/文春文庫 ISBN:4-16-765403-2


 表題作に尽きる。いいから読め。価値観少し変わるから。
| 国内か行(車谷 長吉) | 18:08 | comments(0) | trackbacks(0) |
 1/1