書評・三八堂

のんびり不定期に読んだ本の感想を書いていきます

「薄情」絲山秋子
評価:
絲山 秋子
新潮社
コメント:地方民が総じて薄情かと云うとそうでもないが、薄情でないとは言えない。

●本日の読書
・「薄情」絲山秋子/新潮社

 好きだなあ、この感じ、好き。しかしわたしの中のその「好き」感情を、他人に分かるように説明することは絶対に出来ない確信がある。

 わたしは生まれも育ちも北陸で、実家を離れた大学時代も北陸住まいだったため、純粋培養の北陸女です。他の地域に長く住んだことがない。だから「地元にいる人」が「外から来た人」に向ける、悪気も差別意識もない、だけどどうしようもなく生じている消すことの出来ない落差の感情が良く分かります。それは劣等感でもあり区別でもあり、そしてどこかしら優越感が混じることもある、薄いのに決して消えない境界線です。北陸しか知らないわたしは、日本の中でも北陸人は地元意識がとても強いと思っているのだけど、群馬を舞台にした「薄情」に描かれる地元意識も北陸のものととても似ていて、でも関東に近い分少しだけ成分が違っていて、共感したいような染まりたくないような不思議な気持ちになりました。

 好きなところは物語の始まり辺りに割と集中していて、中でも一番好きな表現が以下。抜粋します。

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 こいついいサイコロだな、と宇田川は思った。きちんと1から6まで目が出るサイコロだ。
 なぜそんなことを考えたのかはわからないが、人間関係はかけ算だなあ、とつくづく感じていたのだった。つまらない奴とつき合えばつまらない勘定になるし、分不相応なつき合いをすれば払いきれない。

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 これは主人公の宇田川が高校の後輩である蜂須賀(女性)を評した言葉ですが、宇田川は定職に就かず親類の神社の手伝いと嬬恋でのキャベツ収穫を半年ターンでこなしている自分を、地元にも定着せず完全に出ていく訳でもない放浪の存在と認識しており、それ故に地域のイメージと結びついていない特色の薄い景色の「どこでもないような場所」に惹かれています。先のサイコロの喩えはこの後、宇田川が自分を「0と1しかないサイコロ」とし、誠実であるためには1の目を出すことだが、それを自分でコントロール出来ない、とする表現が続きます。わたしは自分をそのような目で見たことがないけれど、このサイコロと云う表現がものすごくしっくり分かるし、そう云う特定の出目しか持っていない人がいることも経験で知っています。こんな感じの「あああそれ」って文章とぶつかるので、小説読みは楽しいです。殊に絲山さんの小説はわたしにとってそれが多い。

 宇田川が好んで立ち寄る場所に通称「変人工房」と呼ばれる場所があります。木工作家の鹿谷さんが居るその場所はもとは木工所で、それを鹿谷さんが借りて作品制作のアトリエにしています。都内から移り住んでいる鹿谷さんの変人工房に出入りするのは、地元に強く根差している農家のおじさんだったり、少しだけ浮世離れしている図書館のおばさんだったり、美容師の関君だったり宇田川だったりと色々ですが、総じて世間から外れ気味で、また外れることを厭うていない人ばかり。そのコミュニティにふらっと立ち寄り、残りの半年は嬬恋で地獄のようなキャベツ収穫をするのが宇田川の一年の過ごし方です。

 鹿谷さんは都内出身なのですが、変人工房に集まる人は地元でも外れた人たちなので、前述の「外の人に対する線引き」には襲われていないように見えます。芸術家でもある彼を尊重し、憧れる気配が漂う描写は、ある種劣等感の表れに思われる、というのは地方民の卑屈さでしょうかね。物語は宇田川、蜂須賀、鹿谷さん、変人工房に集まる人々などを渡り歩いて予想外のところへ転がるのですが、群馬弁がふんだんに表れる物語を北陸のそれに置き換えて読み、嫌気が差すような、愛おしいような、哀れなような、同族嫌悪に似た不思議な感情を抱えておりました。思ったのと全然違う最後がまた、好きでした。何事も予定調和はしないのが、非常にリアルでした。

 

 そうそう、富山では県外からの移住者を「旅の人」って言うんですよ。何年住んでも家建ててもずっと「旅の人」。ひどいよね。

 

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| 国内あ行(絲山 秋子) | 00:35 | comments(0) | trackbacks(0) |
「小松とうさちゃん」絲山秋子
評価:
絲山秋子
河出書房新社
コメント:うさみせんぱいかっこいー。

●本日の読書
・「小松とうさちゃん」絲山秋子/河出書房新社


 五十二歳の大学非常勤講師、小松と、その飲み友達の将棋の飛車のような顔をした宇佐美、おっさん二人の話です。小松は仕事で新潟へ向かう途中に電車で隣り合った妙齢の女性、みどりと知り合いになり、宇佐美はシミュレーション系ネットワークゲームで複数のプレイヤーが所属する同盟の盟主を務めています。二人の仕事とプライベート両方が交互に語られ「そう、確かに私たちはこうして暮らしている」と、社会人たる自分を客観的に見ているような錯覚を覚えました、出てきているのは仕事も違うおっさんだけど。

 ネットワークゲームでは、宇佐美が盟主の小さな領地「うさぴょん同盟」は大きな戦争の巻き添えを食う形でチームメンバーの戦力も宇佐美自身の設備もどんどん削られてゲーム内では瀕死。盟主としての戦意鼓舞、敵との交渉などの雑務をこなす宇佐美は、昔あんなに楽しかったゲームに飽きているけれど立場上止められない状態。対する小松はみどりとの仲が少しずつ、少しずつ近付き、目当ても張り合いもなかった生活に彩りが出て来ます。

 みどりの職業に関する不穏な空気をまといながらも、物語は特段大きな事件が起こるでもなく淡々と三人の日常を描いて進むのですが、時おり心をえぐる描写が出てきてはっとします。蛍光灯が切れる瞬間の残像、昔の電車に備え受けられていた水を飲むためのぺたんこの白い紙製のコップ(中がビニルコーティングされているあれ)、電車の路線が地下化して暮らしている風景が激変すること、すっかり忘れているのだけど、都内に住んでいないわたしたちもこう云った思い出と変化は共有していて、そしてある時目にした光景や物語の中で不意にそういったことが飛び出してドキリとしたりチクリとしたりする。そう云う瞬間が欲しくて私は本を読んでいるのかも知れないとさえ思います。

 本作は弊録されている「騾馬と飛車」と云う短編の登場人物たちを気に入った作者が書き上げた長編ですが、元となった「騾馬と飛車」も必要十分な言葉で表されて余韻を残す好きな話でした。同じく弊録のクラゲの話が毛色が異なっているですが、これがまた刹那的で、切なく、心揺らされるものでした。

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| 国内あ行(絲山 秋子) | 14:23 | comments(0) | trackbacks(0) |
「離陸」絲山秋子
評価:
絲山 秋子
文藝春秋

●本日の読書
・「離陸」絲山秋子/文藝春秋


 読み始めたら止まらず一晩、三時間半くらいかけて一気に読んで仕舞いました。「続きが気になってページをめくる手が止まらない」と云う感じではなく、ページを繰るのが怖いような感じのする止まらなさで。それは何故かと言うと帯にある「人生を襲う不意打ちの死と向き合った傑作長篇」の一言がずっと頭の片隅にあり、今馴染んでいる登場人物がいつ亡くなるかと云う緊張感で怖かったからです。しかし、なんだろう、わたしの今まで読んだ絲山秋子の小説の印象から言うと、すごく絲山秋子っぽくない話でした。脇から不意打ち食らった感じ。

 ダム湖の管理事務所に勤める佐藤が越冬隊として勤務していたある夜、屈強な黒人がダム湖を越えてやって来て「サトーサトー、君を探していた。女優を探してほしい」と言います。「女優」とはどうやら佐藤が昔付き合っていた女性であるよう。彼がその外国人から聞いた話や昔の知り合いとの思い出話を総合すると、知っていると思っていた彼女の正体は得体が知れず、その足取りも 2007 年のイスラエル映画への出演以降ふっつりと消えて仕舞います。佐藤は何となく彼女を気に掛けながらも、彼自身の日常生活もあるため、さほど積極的ではない感じで「女優」を探します。彼女が常に移動中である、という印象を持ちながら。

 彼女の目撃情報などあって物語が進むと云う展開は往々にしてあるのですが、そういったものがちっとも無く延々と女優は不在であり続けます。いつしか佐藤はその外国人・イルベールと不思議な交流を結ぶようになります。彼らを繋げたものは女優の存在だけれど、佐藤は女優の人生に少しだけ現れる脇役でありイルベールも単に巻き込まれただけの存在で、喩えるなら彼女は透明な杼(ひ)であり、意図せず周りの人々を寄せ集めて絡めて織り込み、筬(おさ)で押し込んで玄妙な織物を作って仕舞うような、そんな存在です。しかしイルベールから受け取った暗号で書かれた本を読み解いていくと、現代に生きるはずの女優が 1930 年代に活躍した女性スパイであったと云う奇妙な出来事が見えてきます。なんかここら辺が絲山さんっぽくないと言うか、謎に満ちた昔の恋人を時空を越えて探すだなんて一体どこの村上h(略)

 本の半分くらいまでは「どうしてこの作品のタイトルは『女優』じゃないのだろう」とずっと考えていました。主人公が探している女優は、登場人物たちを動かす中心でありつつもずっと「不在」であり「謎」のままです。そのぽっかりと空いた「中心の不在」である彼女を表す「女優」こそがタイトルになるべきではないかと途中まで思っていましたが、暗号解読を越えた辺りから「離陸」と云うキーワードが薄く漂い始めます。

 離陸。それは全ての人に確実に訪れる「死」を表すイメージ。

 物語は冒頭の印象とはかけ離れたところに落ち着きます。第三章の後半からエピローグまでわたしはずっと涙を流し続けてページをめくっていたのですが、勝手な解釈をすると言わば女優は形代で、その存在を追いかけることで彼はかけがえのない人々と出会い、別れ、思ってもみなかった人生を送ることになるのです。普遍化するのも変かも知れませんが、誰しもがぽっかりと空いた不在を埋めようとして生き、そして離陸していくのではないかと、読み終えた今、思っています。その「不在の中心」は昔の恋人の存在だったり、叶いそうもない夢だったり、美しい場所だったり、物欲だったり、欠乏感だったり、何らかの言葉だったりと人それぞれですが、なんかそう云う壮大な何か(でも往々にして他人から見たら馬鹿馬鹿しい)を追って人は生きていくのだと思います。
 
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| 国内あ行(絲山 秋子) | 00:03 | comments(0) | trackbacks(0) |
「不愉快な本の続編」絲山秋子
評価:
絲山 秋子
新潮社
コメント:「愛なんかいらねー」と繋がってるよ

●本日の読書
・「不愉快な本の続編」絲山秋子/新潮社


「不愉快な本」の続編ではなく「不愉快な本の続編」みたいな人生を生きる男の物語です。舞台に故郷富山が含まれているとのことでうきうきと読みました。地元人が読んでも違和感のない方言、隣県に対する感覚、実在の地名や施設、そこで暮らした者じゃないと書けないんじゃないかなあこれは、と感心。しかも主人公は広島、東京、新潟、富山と暮らしの拠点を変えていき、きっと全ての土地の文章が地元民が読んで納得できる描写であるのだろうと考えると凄いですねえ。新潟から見た富山の感覚とか、富山県民の立山に向ける気持ちとか、肌で思っていたことを言語にして並べられると「ああそうそう、そうなんだよねー富山って」と再確認します。作家さんってすごいなあ。

 富山について書きすぎた。

 東京でヒモと借金の取り立てで生活している乾は、冷酷な変態でありながらも文化芸術方面に造詣が深い男です。過去にはパリへ留学もしており、それが彼の経歴に箔を付けつつ彼もそれを利用して女をたらし込んだり過去の経歴のロンダリングに使ったりしています。芸術家がそうである(と思われている)ように、どことなく日常から遊離している彼の感覚は、ひょんなことから新潟で暮らすようになってから、彼と恋人の会話として読者の目に付くように現れてきます。

 本編は「生まれる」「取り立てる」「好きになる」「盗む」「佇む」「入る」の六章で編成されています。乾が取る行動が各章それぞれのタイトルになっているのですが、結末は賛否両論分かれそうです。言葉を文字通り理解しようとすると夢物語になるし、これが隠喩と考えると、何故そう云う書き方をしたのかちょっと戸惑います。普通に考えてその後の主人公の行動を本に関わる隠喩で書いていると思うのですが、それまでで「芸術」はともかく「本」はさほどクローズアップして書かれていなかったので、何か唐突な感じがしました。「盗む」の章が関わっているのですが、わたしの読み込みが足りない感じです。

 乾は嫌なやつです。出来れば深く関わりたくありませんが、単なる知り合いとしているなら、面白い、変わった感覚の男です。でもなんかこの嫌な感じに既視感があると思って手元の蔵書を手繰ってみたら、やはり。「ニート」の巻末に収録されている変態性癖問題作「愛なんかいらねー」に出てました。乾と成田さん。成田さんは本作の冒頭に少しだけ登場します。こんなロングスパンで繋がっているとは。
| 国内あ行(絲山 秋子) | 22:26 | comments(0) | trackbacks(0) |
「ダーティ・ワーク」絲山秋子
評価:
絲山 秋子
集英社
コメント:ストーンズの曲タイトルに乗せた連作短編集

●本日の読書
・「ダーティ・ワーク」絲山秋子/集英社


 THE ROLLING STONES に同名のアルバムがあり、各章のタイトルもストーンズの曲から採られている連作短編集。安定の出来。スタジオミュージシャンの熊井望を主人公にした話からこの「ダーティ・ワーク」の世界は幕を開きます。

 独立した七つの短編から成っていると思って読み進めると、細く頼りない糸が頼り合わされて一本の綱になるように、段々と人々が繋がって来ます。一人の人物も別の人から見ると異なった印象で見えるように、話し手も話されている対象の人物も分からないままで読み進めていくと「あ、これは前に出てきたあの人」となり、ゆっくりと人間関係図の雲が晴れていくのが、柔らかく心地よいです。

 好きなのは二つ目の「sympathy for the devil」。義姉と仲の良い女性の話です。「ラジ&ピース」収録の「うつくすま ふぐすま」みたいに青春を共にした、とか姉妹である、などの強すぎる接触の機会がないのに、何となく気が合って親交を深めていく女性の友情話が好きなんです。

 タイトルの「ダーティ・ワーク」そのものズバリの話はないのだけど、登場人物の一人、遠井の仕事に二重の意味として掛かってくる言葉で、これを連作のタイトルとしたのは慧眼だなあと思いました。ストーンズ、聞いてみようかな。
| 国内あ行(絲山 秋子) | 12:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
「末裔」絲山秋子
●本日の読書
・「末裔」絲山秋子/新潮文庫


 どうしよう「妻の超然」が絲山秋子の最高傑作だと思っていたけれど「末裔」も相当凄い。無駄のない文章なのに言い得て妙と言うか、必要にして充分の的を射た選ばれた言葉で構成された傑作長編小説。上手いなあ、本当に上手い。

「鍵穴はどこにもなかった」
五十八歳で定年退職を目前にした市役所職員、富井省三が一人暮らしの家に帰宅すると、ドアのあるべきところに鍵穴が見つからない。自宅から閉め出された格好になった省三は、夢と現実の間のような日々を過ごし、辛うじて現実感をまとっている不思議な人々と出会い、意図せず自分のルーツを訪ねゆく時間を過ごすことになります。鍵が壊れたのなら業者に修理を依頼出来ますが、鍵穴が消えるという不可思議な状況であればどう解決していいか分からない。家庭を持つ長男には頼れず、長女は家出同然の状況で一人立ちしており連絡が付かない。ふらふらと夜をさ迷う中、新宿で出会った未来の打率が悪い占い師の乙と名乗る背の高い男性に導かれて省三は落ち着き先を見つけます。

 話が進むに連れて、家や家庭に関する思い出が省三の記憶から立ち上がって現在の状況に絡んで語られます。幼い頃、近所にある公園の中にあったあばらやの「ここでお妾さんが暮らしているのよ」と云う脈絡のない噂、浮き世離れしたインテリの伯父が暮らす鎌倉の邸宅、妻の死後ゴミ屋敷と化している我が家の昔の記憶……。ルーツを辿り行くうちに対象が、家、地域、祖先へと徐々に拡大して編み上げられる構成は見事です。時おり挿入される妙な悪夢も布石となって、急かされるでもなく静かに続きが気になります。

 本作は小説としても傑作ですが、もう一つ強く訴えたいのは表紙の写真の見事さです。撮影は藤井春日(ふじいはるひ)さん。伸び放題の雑草と廃棄物が手前に見え、遠景には白いビルと青空を切り取った何気ない一枚なのですが、ちょっとハイキー気味の青空がとても印象的で、風景全体を小説の内容と同じ「夢と幻想の狭間」風にまとまっています。マジックリアリズム風味と云うかなんと云うか。調べると初の個人写真集である「アドニスの庭」からの使用のようです。公式サイトはこちら。普段は単行本も文庫本も帯を取らずに読むわたしですが、この本だけは帯を外して一枚写真として表紙を楽しみながら保管しています。
| 国内あ行(絲山 秋子) | 15:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
「豚キムチにジンクスはあるのか」絲山秋子
評価:
絲山 秋子
マガジンハウス
コメント:ラーメンにレモン汁を入れるのはやってみたい

●本日の読書
・「豚キムチにジンクスはあるのか 絲的炊事記」絲山秋子


 11月に入ってやたら読了本やらその他やらの感想を上げている訳ですが暇な訳ではなく、並行して読んでいた本を次々に読み終えているだけです。因みに今現在は米原万里「旅行者の朝食」、池井戸潤「ロスジェネの逆襲」、西内啓「統計学が最強の学問である」の三冊を並行して読んでいます。以上どうでもいい報告。さて表題作感想。

 絲山秋子は小説をそこそこの冊数読んでいますが、エッセイはこれが初めて。小説の主観的ベストは「妻の超然」で、客観的ベストは「沖で待つ」だと思いますのでご参考までに。当該本は地元図書館の料理本コーナーの端っこにひっそり置かれておりました。雑誌「Hanako」で連載されていたエッセイを一冊にまとめたものですが、普段の炊事を淡々と書くのではなく、連載の為に美味しさを追求するため複数回同じメニューを作って食べ比べたり、うつ状態でも書くために料理したりしています。結構身体張ってます。が、しかし著者の本領はやはり小説で、エッセイだと文章の凄味が薄いというかなんというか。「Hanako」と云う連載媒体の読者に合わせているのかなあ、Hanako 読んだことないけど。

 群馬の一軒家で作られる料理は、酒好きの著者の好みを反映してお酒のつまみにしたら美味しそうなものがてんこ盛り。とはいえ、先に書いたように実験的に今まで作ったことのない食材の組み合わせで作ったり、食べると高確率で食あたりして仕舞うカキをエッセイの為に食したりと、結構チャレンジングです。そして書かれている料理は結構手が込んでいます。因みに私は「揚げた後に煮る」とか「蒸した後に焼く」などの二回火を通す料理を全て面倒と考える人間なので悪しからず。

 スモークサーモンのサンドウィッチだとか、ラーメンにレモン汁を入れるのだとかは読んでて「実際に作って食べてみたいなあ」と思いましたが、料理本ではなく作家の炊事エッセイなのでレシピを抜き書きして実際に作る、と云うところまでいく料理があるかどうかは分かりません。あ、タイトルになっている豚キムチも食べたかった。子どもいるから辛い料理は食卓に上がらないため、外食の時なんかにでもね。そして各章に著者の筆で描いた一枚絵が入っているのですが、これが登場する料理の写真だったらもっと良かったなあ、と思います。別に料理本ぽく美味しそうに綺麗に撮った写真じゃなくて、生活感あふれる感じのものが見たかったなー、なんて。
| 国内あ行(絲山 秋子) | 01:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
「妻の超然」絲山秋子
●だいぶ前の読書
・「妻の超然」絲山秋子/新潮文庫

 言いましょう、絲山秋子の現時点最高傑作です。

 三人称で書かれた「妻の超然」、一人称で書かれた「下戸の超然」、二人称で書かれた「作家の超然」の三本を収めた中篇集。これの前は芥川賞を受賞した「沖で待つ」が一番いいと思っていましたが「妻の超然」勝る。読むべし。

 何がいいのか考えてみましたが「上手い」としか言えなくて自分の語彙力やら読解力やらのなさに超然として仕舞うのですが(使い方違う)、文学的に「上手い」んですよどの作品も。さり気ない日常を織り交ぜながらその折々、出来事ごとに変化していく登場人物の心境を、癖や習慣を使って描き出すことで「ある」感を生み出し、人の人生を追体験したような気持ちにさせる……うーん、自分の中では間違っていないのだけれど、それだけじゃないなあ、なんだろう。「妻の超然」の変にすっきりとする読後感、「下戸の超然」の何をも責められないやるせなさはこれだけじゃ言い表せないですな。

「妻の超然」は旦那の浮気に気付きながらそれを何のアクションも起こさず観察する妻の日常を描き、「下戸の超然」はボランティア活動に情熱を傾ける恋人の悪気ない行動から段々と変化していく男性の心境を描いています。

 特筆すべき、と言うか燦然と光を放ちこの一冊の評価をわたしの中で滅茶苦茶に上げているのは掉尾の「作家の超然」。二人称で書かれた小説って読んだことありますか。誰とも知れぬ第三者から主人公の作家が「おまえ」と呼ばれて進むこの話は、絲山秋子の私小説的な作品に読めます(ただわたしは著者の私生活を知らないので「そう読める」とだけ感じますが、実際はフィクションかも知れず、そこがまたいい)。病気をきっかけに兄との思い出を振り返りながら、文学に正面切って対峙する中年作家の心構えを表明した傑作です。読んでて初期の笙野頼子的だと思いました(「極楽」「なにもしてない」の辺り)。文学界のシャーマン、笙野頼子に続いて、文学に挑み続けて頂きたいです。
| 国内あ行(絲山 秋子) | 03:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
「ラジ&ピース」絲山秋子

●本日の読書
・「ラジ&ピース」絲山秋子/講談社文庫


 地方生活での人との触れ合いで、頑なな女性の心がほぐれていく物語。

 と書くと単純なありがちな話に読めますが、物語をふと通り過ぎる人も単なる脇役でなく、この人なりの物語があると読ませるいつもの手腕は見事。主人公の野枝は自らがブサイクであると云うコンプレックスを持つ三十代独身女性で、顔の見えないラジオのパーソナリティーを務めています。群馬のローカル FM 局で番組を持ち、それは固定リスナーも付く人気番組になって行きます。頑なだった野枝に、飲み屋で屈託なく声を掛けてきた女医・沢音の存在が、彼女の心を見えるか見えないかの速度で解きほぐしていきます。

 人は環境によってほぐされていくのだろうなあ、と思います。これでもし野枝が群馬でなく、大阪のラジオ局でパーソナリティーをやっていたら、こういう話にはならない。こじんまりとした地域で、その気になれば直接リスナーと会うことも出来る距離感だからこそ成立するお話です。

 個人的に気になるのは、過去の恋人「美丈夫」の存在。野枝は彼をどんなにか愛していたのに、付き合っている間は「絶対に自分にこんな幸福が訪れる筈はない」とネガティブに考えて、好き過ぎるのに嫌われようと必死になっていました。そのくせ、群馬で暮らしている自分のところをたずねて来る彼を夢想しており、この相反する行動が上手く説明出来ないのだけれど感情としては良く分かります。こういうところも上手だなーと思います。

 併録の「うつくすま ふぐすま」も気持ちのいい話です。回文の名前を持つ女性が、完全に同姓同名の女性と仲良くなり、運命が呼び合ったように意気投合していく途中を描いた物語です。そう、「途中」。彼女らには今後も色々な触れ合いがあり、楽しく付き合っていくのだろう事を想像させて終わる、気持ちのいい掌編です。

| 国内あ行(絲山 秋子) | 04:41 | comments(0) | trackbacks(0) |
「ばかもの」絲山秋子

●本日の読書
・「ばかもの」絲山秋子/新潮文庫


 何かするするーっと読めちゃたな、二日くらいで。言葉の選び方がとても考えられているが故に読みやすいせいだろうか。著者の「沖で待つ」が好きで、それを越える作品を待っているのだがもう少し先かも知れない。個人的感想。

 大学生のヒデは年上の恋人額子に夢中。会うたびに頑張ってセックスしているが、ある日いきなり「結婚するから」の一言と共に捨てられる。それから年月を越えて二人が再会して再度距離を縮めて行くお話です。と書くと陳腐に聞こえますが、額子が男勝りであっさりした、と云うよりはむしろ過激な乱暴者なために、普通のねばねばした男女関係には陥っていません。読んでいる時の印象も乾いています。

 身体が満たされている人は精神を病み、心が強い人は身体に欠落を負って仕舞う、と云う物語の構造は、著者の以前の作品にも見られたモチーフですが(ネタばれになるのでどの作品かは書きません)、這うように距離を測りながら再度近づいてゆく二人の描写は静謐な中に一触即発の激しさを秘めていて、緊張しました。読後感は爽やかです。

| 国内あ行(絲山 秋子) | 15:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
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