書評・三八堂

のんびり不定期に読んだ本の感想を書いていきます

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「光圀伝」沖方丁
評価:
冲方 丁
角川書店(角川グループパブリッシング)

●本日の読書
・「光圀伝」沖方丁/角川書店


 ご存じ先の副将軍水戸黄門の物語です。「天地明察」の脇役として読んだ光國がとても格好良かったので、この人の描く光圀を読んでみたくなりました。越後の縮緬問屋を名乗って日本全国を漫遊する好々爺と云うのは後世作られたイメージで、実際は剛毅な名君だったと云うのは常識でしょうか。わたしは文より武に秀でた君主と云うイメージがありましたが、かなり文学、それも詩歌に傾倒した人だったようです。その学問にかける情熱が前半に描かれており、光國がどうして文学に入れあげたか、そして誰とどう出会いどう感じたかの青春部分が非常に痛快でした。

 そしてこの本を語る上で外せないのが、彼の「世子」と云う身分についてです。世子、即ち跡継ぎのことですが、光國には同腹の兄がおり生まれた順番が非常に重要な江戸時代だと、次男の彼は兄が死亡しない限り世継ぎには指名されません。しかし兄はちゃんと生きており、領主としての器もあります。「何故、俺なのだ」自分が世子である理由を求め続けて青春を駆け抜けます。今どきのぬるい「自分探し」とは次元が違う、自分の存在意義を求める日々です。この鬱屈を究学の情熱に振り向けた訳ですね。

 そして学問を究めるうちにますます「義」を重んじるようになり、次男である自分が義に背いて世子になっている現状、どうすれば長男である兄に義を立てることができるか、このねじれた長幼の順を義の元で元に戻すことが出来るかについて頭を振り絞ります。彼が最終的に見つけた「義」の道には思わず膝を打ち、涙がこぼれます。

 後半は藩主となってからの光國の物語です。水戸藩を学問によって隆盛させたい思いで建てた彰義館にまつわる話、後世「大日本史」と呼ばれる史書の編纂、親しい人を次々に見送り孤独になりいく話と盛り沢山なのですが、「天地明察」でも感じたように著者は青春時代を描くのが好きなようで、中年以降の描写はどうも暗いというか淡々としているというか、晩年の言葉通り物語の陰の部分が強まって前半ほど痛快ではありません。そうではありつつもクライマックスへ向かって物語が雪崩落ちていく様は「すごい」の一言でした。本書、最初のページがお手討ち、即ち殺人のシーンから始まるのですが、このシーンに向かって光國が静かに決心していく様は辛いです。辛いけど先を読みたくて止まらない。そこまでで三回ほど泣きましたが、駄目押しでまた涙出ました。二人の男の「義」を両立させる道は果たしてあるのか、と。

 因みに先ほどから「光國」と「光圀」を書き分けていますがこの水戸みつくに、壮年期は「光國」の文字を用い、隠居前後から「光圀」の文字を使い始めたとのことです。後者の文字は則天文字と言い中国の女帝則天武皇の作った文字で、国構えの中に「惑」を表す文字が入っているのが縁起悪いと云うことで、国構えの中に「八方」を入れて代わりの文字としたと云う来歴があるとのことです。まめ知識。

 あとは更に余談ですがこの本も電子書籍で読みました。角川は「電子特別版」の名の下、「野生時代」連載時の挿画が入れてくれておりそれは良いのですが、電子書籍ってハードカバーを持ち歩かなくてもいい物理的な軽量さがメリットなのに、この書籍データ無駄に上中下と三分冊されていてそれが業腹です。一冊にせいや!
| 国内あ行(沖方 丁) | 14:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
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