書評・三八堂

のんびり不定期に読んだ本の感想を書いていきます

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「こちらあみ子」今村夏子
●本日の読書
・「こちらあみ子」今村夏子/筑摩書房


 表題作は2010年の太宰治賞受賞作で、また併録の「ピクニック」と合わせて本書で三島賞を受賞しています。個人的な文学賞ウエイトとして太宰賞と三島賞、泉鏡花文学賞の受賞作は斬新で面白いものが多いので機会があれば手に取るようにしているのですが、本書は癖が強いと云うか、もしかしたら嫌う人もいるかも知れない作品です。でもわたしはとても上手いと思いました。

 まず表題作。主人公のあみ子は発達障害(だろうと思われる描写)の娘で、彼女の小中学校時代を描いた物語のメイン部分は彼女の言動とそれによる家族の状況の移り変わりを描いています。あみ子の致命的な言葉や行動で彼女の継母は心を病んで仕舞うのですが、あみ子はその出来事と継母の変化を関連付けて受け止めることが出来ないので、現実には辛くしんどい状況も不思議にあっけらかんとした空気をまとって紡がれています。例えば小学校での授業中、あみ子はよく大声で歌を歌っているようなのですがそれをあみ子は変だと思わないので、あるきっかけで歌を歌う描写が出て来る時に「いつものように歌を歌った」と書いてあり、読者は「ああ、いつも歌っているんだな」と、そこに至るまでのクラスメートの置かれた環境を振り返って想像するのです。あみ子に言われるまで読者は分からない。発達障害を盾に、虫食いの物語をそれと知らず読まされて、小説中のあみ子に種明かしをされていると言うか……。うーん、分かってもらえるだろうかこの感じ。彼女の行動は彼女の中では自然なので文中ではさらっと流されるのだけれど、読んでると「ええっ、そんなことするの」「うわー、これはちょっと……」ってドン引きしちゃうんです。

 でも何故か、あみ子を嫌いになることが出来ない。それがこの小説の一番上手なところではないかと思います。

 プレゼントでもらったおもちゃのトランシーバーに呼び掛けるあみ子と、トランシーバーがおもちゃであるが故の通信の不具合が、家族とあみ子の「通じ合えない」「別の価値観で生きている」様子のメタファーになっていて秀逸です。この小説については「ここも良かった、あそこも良かった」ってまだまだ書きたい感じなのですが、どうも書きすぎるとこの小説の良さを損なってしまうような気がしますなあ。個人的には初出のタイトル「あたらしい娘」も良かったと思うのですが、改題されてますね。

 そして併録の「ピクニック」も一筋縄ではいかない小説です。コンセプトパブで働くユミ(たち)から見た同僚の七緒さんの物語ですが、七緒さんがものっすごい善人で、でもベクトルがずれていて、彼女に好感を持つユミたちは売れっ子お笑い芸人と愛を育む七緒さんの人生を全力で応援している、と云うお話です。こう書くといい話なんですが、七緒さんの極めた善人っぷりには上手く言えない違和感があります。でもそれは厭な違和感じゃなくて、読者は七緒さんが幸せであればいいなと思わず願ってしまうような、そんな不思議な牽引力を持つお話です。七緒さんの努力の方向は妙で、そしてお話が進むにつれ読者は七緒さんに疑念を抱くようになっていくのですが、何が本当なのか、本当は誰も分からないんじゃないかと云う、余韻に満ちた小説でした。

 この著者、文章にすごい特色がある訳ではないのですが物語の作り方がとても上手で、他にこんな小説書ける人いないんじゃないかなあと思わされました。不思議な魅力。

JUGEMテーマ:小説全般
| 国内あ行(その他) | 00:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
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